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沖縄の位置と気候

位置
 沖縄県は、ユーラシア大陸の東の端、日本の九州から台湾までの間に連なる琉球弧の南半分を占める。 日本の最西端かつ最南端に位置し、東西約1,000km、南北約400kmの広大な海域に点在する島々から なり、その島数は大小合わせて160にものぼる(その中で人が住む島の数は60)。

気温
 那覇市の年平均気温は22.4℃、最高平均気温が25.1度、最低平均気温が20.1度である。

降水量
 年平均降水量が2,000mm以上。

気候的特徴
 高温多湿な亜熱帯性海洋気候に属する。
 夏から冬にかけて、頻繁に台風が来襲する。過去43年間で315個の台風が沖縄に接近している。
 一年間で7〜8個の台風が沖縄に来襲している計算となる。
沖縄の歴史(中世〜現代)

琉球王国時代
 14世紀頃、沖縄本島では北山(今帰仁城)、中山(浦添城)、南山(島尻大里城)の三つの勢力が台頭し、三山時代と呼ばれた。15世紀になると、尚巴志(しょうはし)が中山から北山、南山と制圧していき、初の統一王朝「琉球王国」を樹立した。三山統一後、首里城が王城として確立された。尚巴志の王朝は第1尚氏王朝と称される。尚巴志は中国、朝鮮、日本などに船を送り、「貿易国家 琉球」の基礎を固めたが、王の没後の政治は不安定で、1469年のクーデターで王朝は崩壊した。次に王位を継いだのは尚円(しょうえん)で、この王朝を第2尚氏王朝と呼ぶ。尚円の後を継いだ第3代王の尚真(しょうしん)は琉球王国の基礎確立の諸政策を推進。また、首里城を中心に華麗な王朝文化を花開かせた。
 第7代王、尚寧(しょうねい)の時代に対日関係が悪化、1609年に薩摩が進入し、その後琉球は日本の封建国家体制に組み込まれた。1372年に察度王(さつどおう)が冊封(進貢)貿易を開始して以後16世紀まで、琉球が中国、朝鮮、日本、東南アジア諸国と外交貿易を展開していた時期を「大交易時代」と呼ぶ。王朝は各国へ船を送り交易を行ったが、その際の収入は王府にとって大きな財源であった。

第2次世界大戦による米統治時代
 第2次世界大戦末期の1945年4月1日、米軍は沖縄本島読谷村の海岸に上陸、激しい地上戦が展開さ れた。沖縄は、日本で唯一の地上戦の場となり、数多くの住民を巻き込んだ。特に、本島南部は激戦地であり、南部に避難していた住民の大多数が生きて終戦を迎えることがなかった。日本敗戦後、沖縄は広大な米軍基地に組み敷かれた。「銃剣とブルドーザーによる接収」と称されたように、時に米軍は強権的に県民の所有する土地を奪った。中には、先祖代々の墓ごと接収された方々もいて、年に数回の墓参りさえままならぬ状況が現在も続いている。また、所有する農地が基地内にあり、畑仕事をするために毎日ゲートを通ってる方もいる。
 米軍が常時使用できる専用施設に限ると、日本全国の74.8%の施設が沖縄に集中し、沖縄本島の面積の約5分の1を占める。他県の場合、基地の割合は静岡県と山梨県をのぞき、占有面積の割合は1%にも満たない。 米軍基地があるがゆえの事件、事故は県民生活に暗い影を落とし続けている。
沖縄の芸能文化の特徴

琉球舞踊
 琉球舞踊は代表的な沖縄の伝統文化である。古来からの祭祀舞踊を基礎に、東南アジアや中国、日本 本土の芸能に影響されて発展した。る琉舞は古典、雑踊り、創作の3つに分類される。古典は琉球王国時代、中国からの冊封使を歓待する「御冠船踊り」などを通して確立されていった。雑踊りは明治時代、古典に庶民の民謡や風俗を取り入れて作られた。創作は、おもに第2次世界大戦後に考案された舞踊を指す。
 琉舞は、沖縄独特の三線や筝、太鼓、笛、胡弓などの楽器演奏と歌にのせて披露される。琉舞と音楽、そしてセリフで構成された沖縄独自の歌舞劇「組踊り」は、国の重要無形文化財に指定されている。

エイサー
 盆踊りのことを沖縄では「エイサー」と呼び、その名称は踊るときの「エイサーエイサーサッサ」と囃す掛け声からきている。エイサーは盆にあの世からこの世に訪れる無縁仏の施餓鬼の行事が芸能化されたものである。地区ごとの青年会が旧盆の時期に、エイサーを舞いながら、地謡(三線や太鼓、歌の演者)と共に練り歩き各家の前や庭でエイサーを披露する「巡りエイサー」は、沖縄の夏の風物詩である。イベントとして、「全島エイサー大会」や「一万人エイサー」などがあり、これを目指して練習を積む青年会も多い。各地区ごとに、踊りや衣装、曲調に特色があり、各団体の演舞を一通り見ても飽きることがない。

古典音楽
 沖縄の古典音楽というと、琉球王国時代に首里王府を中心に演奏されていた三弦楽のことである。沖縄の人たちは歌三線と呼んでおり、「工工四(クンクンシー)」という沖縄独特の漢字譜四巻に収められた二百数十曲が古典音楽のレパートリーとなっている。
 古典音楽は「歌」と「三線」による音楽であるが、二人以上あるいは百人近くが一緒に演奏する「斉唱」のスタイルもさかんである。また、十三弦の琉球筝、胡弓、横笛、太鼓を加えてアンサンブルで演奏されることもある。もっとも知られた曲では「かぎやで風節」がこのジャンルに入る。

琉球音階
 琉球音階は沖縄音階とも呼ばれ、ド・ミ・ファ・ソ・シ・ドの音階のことを言う。民謡の「谷茶前」や「てぃんさぐの花」を始め、多くの楽曲に使われている。また、日本の多くのアーティストにより琉球音階を使った曲が発表されている。海外のアーティストの中にも、琉球音階を効果的に使った作品を発表しているアーティストがいる。琉球音階は、インドネシアのペロック音階とほとんど同じである。沖縄では他に律音階と呂音階がある。

沖縄民謡について
 「民謡」の意味とは「作者が分からぬまま、民衆の生活の中で歌われ、伝承されてきた歌」である。沖縄では豊富な数の民謡(民俗歌謡)が伝承され、今も歌い続けられている。これらの民謡は三線の伴奏がつくものもあるし、太鼓や手拍子だけで歌うものもある。あるいは、まったくのアカペラ(無伴奏)のものもある。しかし沖縄民謡というと、多くの人は三線の調べにのって歌われる琉球音階の哀切ある調べ、または、陽気でリズミカルなカチャーシーのメロディーを思い浮かべる人もいるだろう。沖縄民謡のバリエーションは数多く、ひとくくりにするのは難しい。